あさが来た|白岡あさが商売や実業家をやめる時期や理由!広岡浅子は?

 

朝ドラ『あさが来た』では、加野銀行淀川生命の経営が著しい伸びを

見せています。

 

周知のとおり、銀行も生命保険会社もあさや栄三郎、そして加野屋の面々が

一丸となって取り組んできた事業。

 

一時は経営破たんの危機もあった名門両替商の加野屋でしたが、

ここに来て経営状態もV字回復しました!

 

そんな中、加野屋の面々を驚かせることになるのが、白岡あさの

商いや実業家の引退宣言です。

 

あさは銀行や生命保険会社、加野商店のすべてから手を引き、

後は加野屋の面々に任せることを宣言します。

 

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白岡あさが商売や実業家をやめる時期や理由! 広岡浅子は?

 

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白岡あさが商売や実業家をやめるのは、明治37年(1904年)のことです。

 

折しも日露戦争が勃発して、戦時保険加入者の対応などで淀川生命が

多忙を極める時に突然、引退宣言をすることになります。

 

その理由は体調を崩しがちになっている新次郎の世話と、

共に余生をのんびりと過ごすためです。

 

新次郎はこのころ既に家督を東柳啓介に譲って実業界からは引退していましたが、

やはりあさは新次郎の体が気になったようです。

 

当の新次郎は自分のためにあさが実業家を引退することは大反対しますが、

あさは考えを曲げません。

 

加野屋にとってあさは栄三郎と並び大黒柱のひとりですが、

やはり新次郎を放ってはおけないのでしょう。

 

ここまで好きなように商売ができたのも新次郎のお陰ですし、

あさも最後は妻として新次郎の世話をして、一緒に余生を送る道を選ぶ

ことになります。

 

ドラマではこのような流れで白岡あさは商いや実業家を引退しますが、

史実の広岡浅子とは事情が少し違いました

 

史実の広岡浅子が商売や実業家をやめた理由は?

 

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広岡浅子が実業家を引退したのも、ドラマと同じく明治37年のことです。

 

そしてその理由は、夫の信五郎の死です。

 

広岡信五郎

(広岡信五郎)

 

この年に信五郎は体調を崩して、病死(死因となった病名は不明)してしまいますが、

それを機に浅子は実業家を引退することを決意します。

 

また跡取りとなる広岡恵三(啓介のモデル)の実業家としての成長も、

引退を決意するにあたっては大きな理由となりました。

 

当時の加島屋は広岡正秋(栄三郎のモデル)と浅子のふたりが経営のトップの座に

いましたが、浅子がその座を譲ってもいいと思えるほど恵三は成長したようです。

 

実際にその後の加島屋の経営をけん引することになる恵三は、

様々な功績を挙げましたので浅子の目は間違っていませんでした。

 

また浅子は実業家を引退したといっても、たびたび恵三からの相談を

受けていますし、加島屋は浅子の判断と思われるような経営判断をすることも

ありましたから、その影響力は残ったようです。

 

さらに浅子は実業家を引退してもドラマのように余生をのんびりと過ごすことはせずに、

晩年を捧げることになる女子教育や女性の地位向上のための活動に取り組んでいきました。

 

講演活動や執筆活動も精力的におこなって、後に御殿場の二の岡で勉強会も

主宰することになります。

 

このようにドラマの白岡あさと広岡浅子は同じ年に実業家を引退する

ことになりますが、その理由や経緯は微妙に異なりますね

 

恐らくこのドラマの大きなテーマは「夫婦愛」ですから、

ひときわそれを引き出すために、このような変更を施したと考えます。

 

やはりこのドラマでは新次郎あってのあさでしたし、あさあっての新次郎でした。

 

このふたりが共に過ごすことになる晩年の姿も大きな見どころでしょうし、

なかなか楽しみですね!!

 

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